2011年09月19日

姨捨の伝説は中国から伝えられ原話は印度の伝説。西行法師も紀貫之も芭蕉も一茶も姨捨山で田毎の月を見た!

『深沢七郎集 第七巻 エッセイ1』の「千曲川」に次のように出ていた。
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甲武信岳の清流から信濃川になるまで、曲がっては曲がって流れる千曲川のうちで、絶景は姨捨山(おばすてやま)からの遠景である。伝説では、姨捨は、いまの姨捨山放光院長楽寺の姨岩の上へ老人を置いてきたのである。または、姨岩から突落して捨てたともいうそうである。が、それは事実ではなく、姨捨の伝説は中国から伝えられたものだし、原話は印度の伝説で、この信濃の姨捨山は地名だけだそうである。
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この長楽寺のすぐ下には「田毎(たごと)の月」と言われる段々畑があって、田の数は四十八枚である。田に水があるときは月の光がどの田にも写って、田毎に月があるように見えるのである。
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長楽寺の住職さんの説明だと四十八枚の田の数字というものは仏教的な数で意味の深いものだそうである。四十九でも、この数は印度の祇園精舎の四十九棟で、これもやはり仏教的な数字である。なんとなく、神秘的な田毎の月の光らしい。
隈(くま)もなき月の光をながむれば
まづ姨捨の山ぞ恋しき 西行法師

君が行くところと聞けば月見つつ
姨捨山ぞ恋しかるべき 紀 貫之
のように月の賛歌が多いのは、古人は月の名所を目ざして、はるばるここへ来たかららしい。

現在でも、この姨捨の付近の人達は中秋の名月にはこの山へ集って観月の会をするそうである。

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おもかげや姨ひとりなく月の友  芭蕉
信濃では月と仏とおらがそば  一茶

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姨捨山の話は中国や印度の話が元になっていることを知った。
四十八の仏教的意味は、法蔵菩薩が阿弥陀仏になる前に、一切の衆生を救うために誓ったのが四十八願であった。その数のことをいってるのだろうか。!タグ!深沢七郎 姨捨山 西行法師 芭蕉 一茶 紀貫之 四十八願 田毎の月
posted by かんちゃん at 19:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | ことば・本
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